徳一が開いた相応寺
相応寺は、平安時代のはじめ、奈良興福寺の徳一大師が開いたと伝えられています。
大同2年(807年)、徳一上人は、夢のお告げによって安達太良山へ登り、岩上で薬師如来像を発見します。
この像は、空海が「日本の有縁の地に安座し給え」と念じて、虚空に投げたものと言われています。
また、この薬師如来を通して湧いていた温泉は、瀕死の者を温泉にいれると、たちまちのうちに傷が治ったという伝説があります。
相応寺は、遠藤ヶ滝不動尊(東北三十六不動尊霊場第三十一番札所)の別当寺でもあります。
徳一は、磐梯町の慧日寺(えにちじ)を建立したことで知られています。
慧日寺は、奈良・東大寺、法相宗の僧の徳一上人により開山されました。
慧日寺が開山される前年には猪苗代湖が誕生しており、平将門が寄進した山門があるなど、平安から鎌倉時代の日本のもうひとつの歴史を感じられる場所です。
薬師堂十二神将
文明13年(1481年)建立の薬師堂があり、宝徳4年(1452々)作の薬師如来像と、脇侍の日光・月光両菩薩像のほかに、十二神将が安置されています。
これらは、大玉村の文化財に指定されています。
相応寺のしだれ桜
相応寺のしだれ桜は、推定樹齢350年。
エドヒガン系のベニシダレ桜で、樹高は13.5メートル、幹回りが2.6メートルという大きなしだれ桜です。