福島県は京都や大阪などから遠く離れていますが、蝦夷とよばれる北方政権のお目付け役的な地理にあるためか、こんなところに、こんなものが、というものがあります。
神社やお寺は、人の祈りの象徴となっている場所。
その歴史をひもとくと、地域の歴史もわかります。
相馬太田神社は、鎌倉時代に相馬氏が移り住んだ際に、初めて住んだ場所とされています。
国の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追では、出陣式が行われる神社として知られています。
文知摺観音・普門院を中心とした信夫文知摺公園は、古くから霊場として知られ、信達三十三ヶ所二番札所になっています。
また、歌枕の地としても知られ、松尾芭蕉や正岡子規などの句碑がありまっす。
大善寺のフジは、昭和31年に福島県の天然記念物に指定されました。
ヤマフジの巨樹3本が指定対象となっています。
根回り2メートルという大藤が、まるで龍のようにからまり、地を這うような場所です。
大藤稲成神社は、白幡神社が、とくにヤマフジの巨樹のために神社とした場所になります。
磐梯熱海温泉の萩姫伝説に由来する不動尊。
磐梯熱海温泉に辿り着いた萩姫は、病が癒え、これに感謝した侍女の雪枝が尼僧となって、不動明王の分霊を祀って一生を送ったと伝えられる場所です。
「さざえ堂」は、寛政8年(1796年)に、郁堂和尚が考案、建立しました。
六角三層、高さが約16メートルあり、らせん形の通路で上り下りする、階段のない一歩通行の建造物。
正面からスロープを登って頂上に達し、おりると裏口に出るという構造は、世界にも例をみない、特殊なものです。
石都々古和気神社は、八幡山と呼ばれる山の頂上にあります。
八幡山には磐境が多数あり、古代から祭祀の地となっていたことが推測されます。
また、石川氏の居城であった三芦城跡でもあります。
国指定史跡である白河関は、奥州三古関のひとつ。
白河関跡には、2000年近い歴史をもつ白河神社が鎮座しています。
四季折々の自然が美しい場所で、散策におすすめです。
この地に土津神社が造られたのは、保科正之が生前、磐梯山の神を祀る磐椅神社(いわはしじんじゃ)に何度も参拝し、死後は、磐椅神社(いわはしじんじゃ)の末社となって奉仕したいという希望が叶えられたためです。
土津(はにつ)という名称は、寛文11年(1671年)に、保科正之が、吉川惟足から吉川神道の奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来しています。
奥の院となっている保科正之公の墓所は、国指定史跡となっています。
三光稲荷神社の御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、五穀豊穣の神さまです。
「西白河郡志」によると、長元4年(1031年)4月24日に、京都の伏見稲荷大社から勧請したとあります。
日本三大虚空藏菩薩のひとつで、空海が唐の高層より授かった霊木に掘った福満虚空藏菩薩像が祀られています。
丑年、寅年生れの守り本尊であり、会津の赤べこの由来になった赤牛伝説など不思議な話も残されています。
田出宇賀神社の田出とは、昔、この地の田のなかに小島があり、その小島の泉から田の神が出現し、町の名前を「田島」としたことに由来しています。
日本三大祇園祭のひとつ、会津田島祇園祭は田出宇賀神社の例大祭です。
慧日寺は、奈良・東大寺、法相宗の僧の徳一上人。
慧日寺が開山される前年には猪苗代湖が誕生しており、平将門が寄進した山門があるなど、平安から鎌倉時代の日本のもうひとつの歴史を感じられる場所です。
平安時代末期の1160年に建立された国宝の白水阿弥陀堂が、湯本温泉の近くにあります。平泉の藤原清衡の娘・徳姫が建立したという阿弥陀寺です。
正式名は願成寺阿弥陀堂といいます。
周辺領域は白水阿彌陀堂境域(しらみずあみだどうきょういき)として国の史跡に指定されています。
白水とは、平泉の「泉」を分解してつけた名前です。
「ひらいずみ」と「しらみず」の音も似ているような気がします。
二本松神社は、JR二本松駅近くにある、二本松を代表する神社です。「二本松の提灯祭り」として知られる例大祭は、毎年10月4日・5日・6日の三日間行われます。日本三大提灯祭りの一つとして知られています。
天寧寺は、蘆名氏の菩提寺として栄えた曹洞宗の寺です。
現在では、新選組の近藤勇の墓がある寺として知られています。近藤勇と土方歳三が寄り添うようにたたずむ墓所があります。
新宮熊野神社は平安期に建立され、東北地方では最も古い1089年とされています。
これは、1124年建立の中尊寺(平泉)、1160年の白水阿弥陀堂(いわき)よりもずっと古い年代となります。
国の重要文化財に指定されている「長床(ながとこ)」とは拝殿のことです。
これらの景観と歴史が「興味深い」と評価され、ミシュラン・グリーンガイド東北Web版にも掲載されています。
国指定重要文化財 陸奥一之宮 馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)
平安時代、905年(延喜5年)、醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たった「延喜式」にも記載されている、陸奥一之宮が馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ) です。
福島県小野町にある、夏井諏訪大社の御神木、翁(じじ)スギと媼(ばば)スギです。
樹齢は1200年以上、翁杉は目通り9.2m、樹高は48.5m、媼杉は目通り9.5m、樹高47.8m。
夏井諏訪神社は、蝦夷の反逆鎮圧のためにやってきた藤原継縄が、戦勝祈願のために植えたものがそのままご神体となったとされています。
鹿島大神宮のペグマタイト岩脈は、露出している面の延長は約40m、幅14m。さらに地下10m、境内には1万4,000tもの岩脈があると推定されている、国の天然記念物です。
郡山市の重要有名民俗文化財の絵馬もあります。
天栄村安養寺という地区名と同じ安養寺には、法燈国師が晩年自分の姿を彫ったといわれている座像(福島県重要文化財)が安置されています。
鎌倉時代末期の約710年前に造られたものといわれています。
長野県佐久市安原にある臨済宗(妙心寺派)安養寺の法燈国師像は室町時代の像だそうですから、法燈国師像の古さでは、天栄村に軍配が上がるようです。
白河城主・松平定信につかえていた画僧・白雲上人(はくうんしょうにん)が、寛政9年に描いたとされる12枚の杉戸絵のうち4枚が福島県の重要文化財に指定されています。
また、樹齢250年のたらようの木は、町の天然記念物です。
小栗観音堂は、仙道三十三観音の30番目の札所として知られています。正式名称は、小栗山高福寺といいます。
堂の中には岩の洞穴があり、行基作と伝えられる十一面観世音が安置されています。
小栗山観音堂のケヤキは、幹まわり5.27メートル、根元周囲が7.60メートル、推定樹齢500年という巨木です。
このようなケヤキの大木はなかなか見当たらないことから、鏡石町の天然記念物に指定されています。
須賀川の総鎮守である神炊館神社(おたきやじんじゃ)は、奥の細道の途中、芭蕉が参詣した神社として知られています。この神社だけの社名は、御祭神である建美依米命(たけみよりめのみこと)が新米を炊いて神に感謝したことに由来します。
須賀川城主であった二階堂為氏は、1445年に諏訪の神である建美名方命(たけみなかたのみこと)を迎え、建美依米命(たけみよりめのみこと)とともに、御祭神としてお祀りしました。
鳥見山公園のある丘のうえに鏡石神社(鳥見山神社と呼んでいます)があります。
創建は明治16年2月という、新しい神社です。
祭神は神武天皇、奈良の橿原神宮から勧請しました。
鏡石神社の由緒書きによると、日本ではじめての西洋式牧場である岩瀬牧場関係者が、皇居を遥拝するために創建した神社になります。
八槻都々古別神社は、都々古別三社(馬場都々古別神社、八槻都々古別神社、下野宮近津神社)の中の宮にあたります。創建については、馬場都々古別神社・八槻都々古別神社とも縁起において、景行天皇(第12代)の時に皇子の日本武尊による起源が伝承として残っています。
鳥見山公園のある丘のうえに鏡石神社(鳥見山神社と呼んでいます)があります。
創建は明治16年2月という、新しい神社です。
祭神は神武天皇、奈良の橿原神宮から勧請しました。
鏡石神社の由緒書きによると、日本ではじめての西洋式牧場である岩瀬牧場関係者が、皇居を遥拝するために創建した神社になります。