福島県内にある文化財を紹介しています。
文化財とはいっても、国宝から町や村レベルの文化財もあります。
そして、市町村レベルの文化財の多くが、その町や村に行かないと存在すら知られていないのが現状です。
ここでは、国や県レベルの文化財だけでなく、そんな市町村レベルの文化財も取り上げています。
意外な場所に、意外な文化財が眠っているかもしれません。
隈戸川に面した西向きの断崖に、薬師如来1体、阿弥陀如来1体、地蔵菩薩1体、聖観音菩薩10体、不空羂索観音菩薩8体、千手観音菩薩5体、如意輪観音菩薩5体、馬頭観音菩薩2体、准胝観音菩薩1体、十一面観音菩薩1体のほか、尊名不詳2体の合計37体、像高40cmから60cmの仏像が彫刻され、公園として整備されています。
平安時代末期の1160年に建立された国宝の白水阿弥陀堂が、湯本温泉の近くにあります。平泉の藤原清衡の娘・徳姫が建立したという阿弥陀寺です。
正式名は願成寺阿弥陀堂といいます。
周辺領域は白水阿彌陀堂境域(しらみずあみだどうきょういき)として国の史跡に指定されています。
白水とは、平泉の「泉」を分解してつけた名前です。
「ひらいずみ」と「しらみず」の音も似ているような気がします。
伊達稙宗(だてたねむね)が、1532年(天文元年)に居城として築城した山城。
本丸からは、新幹線、東北自動車道が見え、今も交通の要衝であることがわかる場所にあります。
じょーもぴあ宮畑は、宮畑遺跡史跡公園と体験学習施設から成る施設。
宮畑遺跡は、2003年に、国の史跡に指定されました。
しゃがむ土偶が常設展示されています。
御薬園は、1380年代、葦名直盛(あしななおもり)のころに、朝日保方(あさひやすかた)という老人が、この地にあった薬泉を用いて、疫病に苦しむ農民を助けたことに由来します。
国の重要無形民俗文化財に指定されている野馬追の神事には、馬を追う野馬懸、街を騎馬武者が行進するお行列、そして雲雀ヶ原祭場地で行われる甲冑競馬と神旗争奪戦があります。
檜枝岐の舞台は、年に3回上演される農村歌舞伎のための舞台であり、江戸時代に建造され、1976年8月23日、国指定重要有形民俗文化財に指定されました。
鎮守神に面して建っており、舞台を囲むすり鉢状です。
相馬中村神社は、天之御中主神(妙見菩薩)を祭神とする神社であり、相馬氏の氏神となっています。
社殿は、寛永20年(1643年)に中村藩2代藩主・相馬義胤により建立され、国の重要文化財に指定されています。
会津若松市 国指定重要文化財・文部省指定史跡 滝沢本陣横山家住宅
滝沢本陣横山家住宅は、会津藩の本陣だった場所です。
参勤交代、または土津神社参拝のときなどに、旅支度を整えるためにかならず立ち寄る休息所でした。
戊辰戦争のときには大本営となり、西軍の進行を、戸ノ口原で食い止めようと、白虎隊に出陣命令が降りた場所でもあります。
「さざえ堂」は、寛政8年(1796年)に、郁堂和尚が考案、建立しました。
六角三層、高さが約16メートルあり、らせん形の通路で上り下りする、階段のない一歩通行の建造物。
正面からスロープを登って頂上に達し、おりると裏口に出るという構造は、世界にも例をみない、特殊なものです。
明治40年8月、有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王が、猪苗代湖畔の美しさを気に入り、別邸の建設を決め、明治41年8月に竣工。
9月には、のちの大正天皇、嘉仁(よしひと)皇太子がこの別邸を訪れ、「天鏡閣」と命名されました。
天鏡閣より、一段低いところにあるのが、旧高松宮翁島別邸です。
現在は、福島県迎賓館となっています。
新宮熊野神社は平安期に建立され、東北地方では最も古い1089年とされています。
これは、1124年建立の中尊寺(平泉)、1160年の白水阿弥陀堂(いわき)よりもずっと古い年代となります。
国の重要文化財に指定されている「長床(ながとこ)」とは拝殿のことです。
これらの景観と歴史が「興味深い」と評価され、ミシュラン・グリーンガイド東北Web版にも掲載されています。
国指定重要文化財 陸奥一之宮 馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)
平安時代、905年(延喜5年)、醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たった「延喜式」にも記載されている、陸奥一之宮が馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ) です。
大安場古墳には、古墳が5つあります。
その中心となるのは大安場1号墳で、長さ83メートル、高さ12メートルの前方後方墳で、東北地方最大の古墳です。
今から1600年前、古墳時代前記に造られました。
慧日寺は、奈良・東大寺、法相宗の僧の徳一上人。
慧日寺が開山される前年には猪苗代湖が誕生しており、平将門が寄進した山門があるなど、平安から鎌倉時代の日本のもうひとつの歴史を感じられる場所です。
初代藩主・丹羽長重が梯郭式の平山城として完成させた小峰城は、奥州の関門としての役割を果たしました。寛政の改革を行った松平定信もここで藩政に腕をふるいました。
日本100名城のひとつにも数えられています。
築城した丹羽長重は棚倉城を手掛け、その子・光重は二本松城の築城に関わっています。
福島県の城と丹羽家との関係が深いことがわかります。
国指定の史跡となっている鶴ヶ城。鶴ヶ城内は公園として整備されています。
戦国時代からつづく、難攻不落の城といわれた鶴ヶ城は、戊辰戦争では1カ月間にわたる攻防の末にも落ちませんでした。
戦のために作られた城であることから、城に続く道にもさまざまな仕掛けがあります。
日本100名城のひとつ。別名、霞ヶ城・白旗城と呼ばれており、現在は霞ヶ城公園として整備されています。
二本松では、江戸時代から菊花の育成が盛んで、毎年秋には菊人形の会場となります。 平成19年(2007年)7月26日、二本松城跡として国の史跡に指定されました。
旧二本松藩戒石銘碑は、登城する藩士への戒めとして、旧二本松城の入り口に設置した石碑のことです。
1935年(昭和10年)12月24日、国の史跡に指定されました。
この地に土津神社が造られたのは、保科正之が生前、磐梯山の神を祀る磐椅神社(いわはしじんじゃ)に何度も参拝し、死後は、磐椅神社(いわはしじんじゃ)の末社となって奉仕したいという希望が叶えられたためです。
土津(はにつ)という名称は、寛文11年(1671年)に、保科正之が、吉川惟足から吉川神道の奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来しています。
奥の院となっている保科正之公の墓所は、国指定史跡となっています。
白河関跡は、カタクリの花の群生地として知られています。
4月から5月にかけて、白河関跡の斜面いちめんにカタクリの花が咲きそろいます。
また、白く可憐な東一華も、カタクリの花の見頃に見ることができます。
寛政の改革で知られる白河藩主・松平定信が築庭した、日本最古の公園です。
かつては「大沼」と呼ばれていた湿地帯に、堤を作って貯水し、庭園の要素を取り入れて享和元年(1801)に築庭されました。
1924年(大正13年)12月9日には、国の史跡および名勝に指定されています。また、2010年(平成22年)3月25日には、農林水産省のため池百選に選定されました。
樹齢100年以上の古木が残る歴史ある牡丹園は、昭和7年に国の名勝に指定されました。
東京ドーム3倍の園内に290種7000株あり、今では冬の季語となっている牡丹焚火は、牡丹園を今の形に整えた柳沼源太郎がはじめたものです。
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
鬼婆が埋葬された「黒塚」は歌枕として知られており、松尾芭蕉や正岡子規も立ち寄った場所です。
「奥の細道風景地」として国指定名勝となっています。
沼に流入している火山性の水質の影響や、植物や藻などにより、五色沼湖沼群は緑、赤、青などの様々な色彩を見せます。その色彩から「五色沼」という名称で呼ばれるようになりました。
福島県内で1位、2位を争う人気観光スポットとなっている大内宿は、山深い下郷町にあります。
大内宿には、30軒以上の茅葺き屋根の民家が立ち並び、江戸時代の宿場町がそのまま保存されています。
前沢曲家集落は、平成23年6月に「南会津町前沢伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
ドラマ「リーガルハイ」のロケ地としても有名です。
塔のへつりは、国の天然記念物に指定されている、大川羽鳥県立自然公園の一角を占める景勝地。
「へつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のこと。
1943年に国の天然記念物に指定されました。
福島県小野町にある、夏井諏訪大社の御神木、翁(じじ)スギと媼(ばば)スギです。
樹齢は1200年以上、翁杉は目通り9.2m、樹高は48.5m、媼杉は目通り9.5m、樹高47.8m。
夏井諏訪神社は、蝦夷の反逆鎮圧のためにやってきた藤原継縄が、戦勝祈願のために植えたものがそのままご神体となったとされています。
福島県小野町にある国の天然記念物です。
広がる枝の中に踏み入れると、たくさんの枝が出ていて、1本なのに、ジャングルのような迫力です。
ヒノキやサワラの巨木は少ないようですから、本当に貴重な一本ということです。樹齢は1000年くらい。樹高は34.3メートル。
幹にタッチして、大ヒノキのエネルギーをもらってください。
大きな椎茸のような形状をした、樹齢400年以上の笠マツ。
明治天皇が東北巡幸のときに「御蔭廼松(みかげのまつ)」と命名され、1980年に、福島県の天然記念物に指定されました。
大善寺のフジは、昭和31年に福島県の天然記念物に指定されました。
ヤマフジの巨樹3本が指定対象となっています。
根回り2メートルという大藤が、まるで龍のようにからまり、地を這うような場所です。
須賀川市天然記念。
樹齢300年のエドヒガンのシダレザクラで、花数が多く、こんもりとしたピンク色が特徴です。
樹高12メートル、根回り3.5メートルと大きく、写真を撮るなら、遠目からのほうがおすすめです。
明治末期に、本宮町の豪農・伊藤弥氏の別荘として、8年の歳月をかけて造られた邸宅、蛇の鼻御殿が、平成8年に国の登録有形文化財に登録されました。
鹿の間、老松の間、千鳥の間、黒柿の間、梅の間などがあり、書画や障屏画などが残されています。
嘉永3年(1850年)創業の末廣酒造は、大正時代に、山廃による試験醸造を成功させた酒蔵です。
嘉永蔵の内部は見学でき、酒蔵ショップで限定大吟醸をこうにゅうできます。
試飲もできますので、ぜひ立ち寄りたい場所です。
飯坂温泉(いいざかおんせん)の鯖湖湯の源泉を引いている蔵造りのなかむらや旅館は、江戸時代からつづく古い旅館です。
お風呂は2つの貸切風呂があり、日帰り入浴でも貸切で利用できます。
蔵のまち・喜多方を代表するのが、この甲斐本家蔵座敷です。
大正6年に4代目吉五郎が、新潟から棟梁・宇佐美与四郎を招き、ともに各地の名家をみて歩き、そのうえで着工したものです。完成まで7年もかかっています。
外壁はすべて黒漆喰で塗りこめられ、「烏城」の別名を持っています。
白河ハリストス正教会は、福島県指定重要文化財です。
聖堂は、函館ハリストス正教会聖堂、豊橋ハリストス正教会聖堂の建築に携わった川村伊蔵の監督のもと、大工棟梁の中村新太郎ら建築。
聖堂とともに福島県指定文化財になっているイコンの大部分は、ロシアの信者と教会等から寄贈されたもので、18世紀から19世紀ごろに制作されたものです。
高柴デコ屋敷には現在4軒の家々があります。
現在でも数百年の伝統を守り、三春駒、張子(はりこ)人形や張子面などを作り続けています。また、各家が所有する人形木型は、県の重要文化財に指定されています。
天栄村安養寺という地区名と同じ安養寺には、法燈国師が晩年自分の姿を彫ったといわれている座像(福島県重要文化財)が安置されています。
鎌倉時代末期の約710年前に造られたものといわれています。
長野県佐久市安原にある臨済宗(妙心寺派)安養寺の法燈国師像は室町時代の像だそうですから、法燈国師像の古さでは、天栄村に軍配が上がるようです。
鹿島大神宮のペグマタイト岩脈は、露出している面の延長は約40m、幅14m。さらに地下10m、境内には1万4,000tもの岩脈があると推定されている、国の天然記念物です。
郡山市の重要有名民俗文化財の絵馬もあります。
白河城主・松平定信つかえていた画僧・白雲上人(はくうんしょうにん)が、寛政9年に描いたとされる12枚の杉戸絵のうち4枚が福島県の重要文化財に指定されています。
また、樹齢250年のたらようの木は、町の天然記念物です。
猪苗代町指定天然記念物であり、福島県指定緑の文化財。
樹高29メートル、胸高幹周4.52メートル、推定樹齢は300年という松の巨木です。
元禄年間(1688~1704)硫黄採掘と温泉の権利をめぐって境界の争いを起こしたときの勝訴のお礼に植えた松です。
小栗観音堂は、仙道三十三観音の30番目の札所として知られています。正式名称は、小栗山高福寺といいます。
堂の中には岩の洞穴があり、行基作と伝えられる十一面観世音が安置されています。
小栗山観音堂のケヤキは、幹まわり5.27メートル、根元周囲が7.60メートル、推定樹齢500年という巨木です。
このようなケヤキの大木はなかなか見当たらないことから、鏡石町の天然記念物に指定されています。
飯坂温泉にある堀切邸には、福島県内最大最古の土蔵 十間蔵があります。
十間蔵は、1775年(安永4年)に建立された蔵で、桁行が10間(約18メートル)あります。
主に米蔵として使われていましたが、ときに酒蔵としても使用されていました。
福島市の有形文化財に指定されています。
脇本陣柳屋の蔵座敷は、文化元年(1804年)の建築で、明治14年(1881年)には、明治天皇が東北・北海道巡幸した際に、往路は休憩所、復路は宿泊所として利用されました。
また、戊辰戦争白河口の戦いの際には、新選組の斎藤一局長以下、106名が宿泊したと記録されています。
脇本陣柳屋の蔵座敷と、勧工場(かんこうば)は、白河市の歴史的風致形成建造物に指定されています。
文知摺観音・普門院を中心とした信夫文知摺公園には、福島県の重要文化財に指定されている多宝塔があります。
多宝塔は、関東以北では数少ないものであり、東北地方では、この地にある多宝塔だけです。
文知摺観音の地は、古くから霊場として知られ、信達三十三ヶ所二番札所となっており、紅葉の名所としても知られています。