小峰城とは?
JR白河駅からすぐの場所にある小峰城(こみねじょう)は、別名を白河城とも呼ばれている城です。
平成22年8月5日に、国の史跡に指定されているほか、日本100名城のひとつにも数えられています。
奥州の入り口に位置する小峰城は、結城親朝(ゆうきちかとも)が、興国元年に小峰ヶ岡に構えた城です。
寛永9年(1632)には、初代藩主・丹羽長重が、梯郭式の平山城として完成させました。
当時は、周囲を阿武隈川から取水した堀に囲まれていた小峰城ですが、現在も小峰城跡の北側には大きな堀が残されています。
歴代藩主には、寛政の改革で知られる松平定信をはじめ、7家21代の大名が居城しました。
しかし、慶応4年(1868)の戊辰戦争・白河口の戦いで落城します。
平成3年(1991)に三重櫓、平成6年(1994)に前御門を、江戸時代の絵図に基づき、忠実に木造で復元され、白河市のシンボルとして親しまれています。
平成23年(2011)の東日本大震災で石垣が崩壊し、長く復旧が続いていましたが、往時の姿に戻りました。
小峰城の天守閣・三十櫓
小峰城の三重櫓は、天守に匹敵するものです。
これは、武家諸法度で城郭に制限が加えられたため、三重櫓が天守の代用とされたためです。
小峰城の復元をきっかけにして、掛川城天守(1994年)、白石城三階櫓(1995年)、新発田城三階櫓・大洲城天守(2004年)、金沢城の門と櫓(2001~2015年)などが、復元されています。
丹羽長重と奥州
丹羽長重(にわながしげ)は、織田信長の家臣として知られる丹羽長秀の長男。
織田信長の死後は、父・長秀とともに羽柴秀吉に従いました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、西軍として戦ったために改易となりますが、慶長8年(1603年)に常陸国古渡(現在の茨城県稲敷市古渡)に1万石の大名として復帰します。
大坂の陣では武功を挙げたことから、1617年には2代将軍・徳川秀忠の御伽衆に抜擢されます。
元和5年(1619年)に常陸国江戸崎2万石、元和8年(1622年)に棚倉5万石に加増され、移封されます。
丹羽長重は、はじめは棚倉の前藩主・立花宗茂が居城としていた赤館城を使っていました。
しかし、新たな城の築城を決め、そこから南にある近津明神の境内に新たな城を築城。
しかし、寛永4年(1627年)に会津藩の蒲生氏が改易されると、丹羽長重は白河10万700石となります。
築城中であった棚倉城は放置され、その後移ってきた内藤信照によって完成した城がのちの棚倉城です。
丹羽長重の築城技術の高さは高く評価されており、長重が築城した棚倉城、小峰城はいずれも城としての評価が高いとされています。
小峰城は総石垣造りの城で、これは東北地方では数少ない造りの城でした。
東日本大震災で崩落した石垣を完全復旧
本丸西面の石垣が大きく崩落し、東日本大震災以降、立ち入りが禁止されていた場所が、完全復旧して公開されています。
小峰城が、石垣の美しい城であることを改めて実感します。
必見!の石垣
JR白河駅方面にむかう、新たに造られたバイパスから、郭内を守る石垣の部分が見られます。
この石垣がみえるように、立ち並んだ樹木を伐採したそうです。
城の元の姿を取り戻すには、木の伐採が不可欠なのだそうです。
かつての小峰城の壮大な姿が、想像できる石垣です。
春は桜の名所
おとめ桜
小峰城は桜の名所としても知られていますが、最初の1本がおとめ桜です。
おとめ桜は、丹羽長秀が小峰城の大改修を行っていた頃の悲しい歴史を背負っています。
石垣づくりの城郭を築いていたところ、本丸の一角が、何度築いても、崩れてしまいました。
そこで人柱を立てることを決めたとろ、たまたま父に会うためにやってきた、和知平左衛門の娘・おとめがとらえられ、人柱になったそうです。
この悲劇を伝えるため、おとめ桜が植えられています。
松平定信と白河
「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」とうたわれた寛政の改革を行った人物として、教科書にも登場する松平定信(まつだいらさだのぶ)は、白河藩第3代藩主です。
徳川吉宗の孫として御三卿の田安徳川家の七男として生まれます。
のちに白河藩の養子となり、第11代将軍・徳川家斉のもとで老中首座・将軍輔佐となりました。
寛政の改革のさなか、光格天皇が、実父の閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうした一件を契機に松平定信は失脚。
その後、白河藩主として藩政に専念することになります。
日本最古の公園である「南湖公園」を整備したり、馬産を推奨したり、藩主として慕われています。
また、1800年(寛政12年)には、文献から白河神社の建つ位置が白河の関であるとの考証を行いました。
近代の発掘調査による再確認によって、松平定信が考証した地が1966年に「白河関跡」として国の史跡に指定されています。
小峰城 歴代藩主
藩主 | 年 | 出来事 | 前任国 | 移封先 |
丹羽長重 | 1627(寛永4)~1637(寛永14) | 棚倉より入封 | 棚倉 | |
丹羽光重 | 1637(寛永14)~1643(寛永20) | 二本松へ入転封 | 襲封 | 二本松 |
榊原忠次 | 1648(寛永20)~1649(慶安2) | 館林より入封 | 館林 | 姫路 |
本多忠義 | 1649(慶安2)~1662(寛文2) | 村上より入封 | 村上 | |
本多忠平 | 1662(寛文2)~1681(天和元) | 宇都宮へ転封 | 襲封 | 宇都宮 |
松平(奥平)忠弘 | 1681(天和元)~1692(元禄5) | 宇都宮より入封 | 宇都宮 | 山形 |
松平(結城)直矩 | 1692(元禄5)~1695(元禄8) | 山形より入封 | 山形 | |
松平(結城)基知 | 1695(元禄8)~1729(享保14) | 襲封 | ||
松平(結城)明矩 | 1729(享保14)~1741(寛保元) | 姫路へ転封 | 襲封 | 姫路 |
松平(久松)定賢 | 1741(寛保元)~1770(明和7) | 高田より入封 | 高田 | |
松平(久松)定邦 | 1770(明和7)~1783(天明3) | 襲封 | ||
松平(久松)定信 | 1783(天明3)~1812(文化9) |
寛政の改革 南湖公園築庭 |
襲封 | |
松平(久松)定永 | 1812(文化9)~1823(文政6) | 桑名へ転封 | 襲封 | 桑名 |
阿部正権 | 1823(文政6) | 忍より入封 | 忍 | |
阿部正篤 | 1823(文政6) | 紀州家から養子 | 襲封 | |
阿部正瞭 | 1831(天保2) | 襲封 | ||
阿部正備 | 1838(天保9) | 襲封 | ||
阿部正定 | 1848(嘉永元) | 襲封 | ||
阿部正耆 | 1848(嘉永元) | 襲封 | ||
阿部正外 | 1864(元治元) | 老中 | 襲封 | |
阿部正静 | 1867(慶応3) | 棚倉へ転封 | 襲封 |
二ノ丸茶屋
二ノ丸茶屋では、ご当地メニューを楽しめます。
また、甲冑着付け体験もできます。
JR白河駅と隣接
小峰城の郭内にあるJR白河駅。
駅出口の反対側に小峰城があります。
スロープがあり、トンネルを抜けると、そこは小峰城になります。
日本100名城のひとつ。別名、霞ヶ城・白旗城と呼ばれており、現在は霞ヶ城公園として整備されています。
二本松では、江戸時代から菊花の育成が盛んで、毎年秋には菊人形の会場となります。 平成19年(2007年)7月26日、二本松城跡として国の史跡に指定されました。
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