鏡沼の伝説とは?
鏡沼跡は、鏡石町の文化財指定第一号となった場所です。
その鏡沼には、このような説明書きがあります。
健保元年(1213年)、信濃源氏の泉親衡(ちかひら)による北条討伐の謀反が発覚し、加盟者は捕らえられた。
和田平太胤長(たねなが)もこれに参加したため、岩瀬郡稲村に配流され5月9日に処刑された。
夫の身を案じた妻は、鎌倉よりこの地に至り、里人に夫の死を知らされ、鏡を抱き沼に入水し果てた。以来、この沼を「鏡沼(かがみぬま)」というと伝える。
天保13年鏡沼村の常松菊蛙(つねまつきっけい)が「磨光編」を著し夫婦を顕彰した。
芭蕉の奥の細道に「かげ沼というところを行くに、今日は空曇りて物陰うつらず」とあるは、この地は一種の蜃気楼現象が現れ、道行く人が水中を歩くごとく見ゆることで有名であった。「杜撰集」
いわゆる「泉親衡の乱」という事件の首謀者が、御家人の和田氏で、和田義盛の甥にあたるのが、和田平太胤長です。弓の名人として知られていました。
この泉親衡の乱では、胤長だけが許されずに配流され、処刑されました。
そしてこのあと、北条義時と和田一門との争いが激化し、鎌倉の市街地において和田合戦が起こり、和田義盛らは討死します。
この合戦後、北条氏による執権体制が強まります。
鏡沼は、奥州街道からはなだらかな下り坂をおりきった低地にあり、かつては人が投身自殺できるほどの沼があっても不思議はない場所です。
現在は、沼の後が小さく残るのみで、目印がなければわからないほどになってしまっています。
松尾芭蕉の「奥の細道」岩瀬周辺
鏡沼を訪れた松尾芭蕉は、「かげ沼というところを行くに、今日は空曇りて物陰うつらず」と残しています。
芭蕉は、須賀川宿に8日間も滞在したことから、岩瀬地方に多くの足跡を残しています。
ここ鏡沼はもちろんですが、乙字ヶ滝、芹沢の滝などにも足を伸ばしています。
須賀川の総鎮守である神炊館神社(おたきやじんじゃ)は、奥の細道の途中、芭蕉が参詣した神社として知られています。この神社だけの社名は、御祭神である建美依米命(たけみよりめのみこと)が新米を炊いて神に感謝したことに由来します。
須賀川城主であった二階堂為氏は、1445年に諏訪の神である建美名方命(たけみなかたのみこと)を迎え、建美依米命(たけみよりめのみこと)とともに、御祭神としてお祀りしました。
田んぼの真ん中にポツンとある史跡のため、この場所に到達できない方も多いようです。
沼は、遊具を備えている公園として整備されています。
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