標高1500mの源泉から8キロ引き湯した酸性温泉
岳(だけ)温泉は、坂上田村麻呂が発見したとされる自然湧出の温泉です。
源泉は、安達太良山(あだたらさん)連峰にあり、8キロも引き湯しています。
伊香保温泉と同じような仕組みで、引き湯の木管に沿って、温泉旅館が立ち並びます。
その引湯の目印となるのが、上の写真です。
何度も移動した温泉街
もともとの岳温泉は、安達太良連邦の鉄山の直下、自然湧出の温泉の周囲に温泉街(湯日(元岳)温泉)が形成されていました。
しかし、文政7年の台風で、鉄山が崩落し、温泉街は一夜にして土石流で消失してしまいました。
翌年、二本松藩は岳温泉を、元湯から6キロほど降った場所に建設。
このとき、引き湯方式が採用され、十文字岳温泉として幕末まで繁栄しましたが、戊辰戦争の折に、二本松藩によって焼き払われました。
その後、明治3年に深堀村に再建されましたが、明治36年に火事により全焼します。
現在の岳温泉が形成されたのは、明治から大正時代にかけてのこと。
湯元から、長さ一間の赤松の湯樋管を繋ぎ合わせて8キロも引き湯しました。
また、国立公園指定、観光施設の開発などを行い、昭和30年(1955)に、全国で7カ所の国民保養温泉の一つに指定されました。
現在の温泉街は、鏡ヶ池から温泉神社まで約400メートルほどの直線に沿って形成されています。
まるで龍脈のように流れる引き湯
岳温泉の引き湯は、安達太良山から尾根伝いに流れてくる大地のエネルギー・龍脈が流れてくるように配置されているように見えます。
龍脈は、穴(けつ)に向かって流れていきますが、エネルギーは水に貯まることから、池が穴とされています。
岳温泉の、最も低い場所には鏡ヶ池があり、安達太良山から流れてきた龍脈のエネルギーを貯める穴の役割をしているように見えます。
つまり、風水のパワーによって岳温泉は守られ、繁栄するようにとの祈りが込められている場所のようなのです。
風水理論で岳温泉を整備?木村泰治とは?
現在の岳温泉を整備し、国内でも有数の温泉街としたのは、木村泰治(きむら たいじ)です。
木村泰治は、秋田県大館市出身ですが、二葉亭四迷に新聞記者への転職を勧められ、台湾日報の記者になり、その後、台北の都市開発を行う会社を興しています。
台湾商工会議所の会頭になるほどの実業家として、事業は大成功を収めています。
このような経歴をもつ木村泰治が、風水を知らないはずがありません。
岳温泉は、風水に基づいて開発された温泉街だといえるのではないでしょうか。
珍しい酸性温泉
岳温泉は、自然湧出の酸性温泉(単純酸性温泉)です。
草津温泉や、福島市の高湯温泉など、温泉の効能が高いとされる温泉地の多くが、酸性泉です。
源泉温度は56.7℃、pH2.5で、無味、澄透、無臭です。
ただ、湯船には白い湯の花が沈殿していることがあります。
この日、お世話になった「せせらぎ荘」では、湯量によって、熱い風呂と、適温の風呂にわかれていました。
ほぼ源泉温度と思われる熱い風呂のほうは、とても入ることができませんでしたが、加水は原則禁止で、源泉かけ流しを楽しむ温泉となっています。
日帰り入浴は事前に確認すべし
岳温泉では、日帰りで温泉を楽しめますが、施設によってサービス時間帯が異なります。
とくに午前中から、日帰り入浴を受け付けている施設は半数ほど。
さらに、平日では全館休業という施設もあるため、事前に電話で確認することをおすすめします。
不定休の食事処が多い
岳温泉の温泉街の食事処の多くが、不定休のため、事前に確認が必要です。
とくにランチは、せっかく行ったのに休みだった、ということがあります。
宿泊施設の方のおすすめは、ソースカツ丼が名物の「成駒」です。
最古の官社のひとつ、温泉神社
岳温泉のパワースポットが、温泉街の坂を登った正面にある温泉神社です。
岳温泉の温泉神社は、863年に小結(こゆい)温泉神、897年に小陽日(こゆい)温泉神として朝廷から位を授けられた、福島県内でも最古の官社のひとつです。
境内には大黒天も鎮座しています。
神社の奥には、公園が控えていて、温泉でほてった身体を冷ますには最適の場所となっています。
縁起物の十二支めぐり
岳温泉の十二支めぐりは、平成8年に、岳温泉が現在の場所に移ってきた90周年にあたり、また子(ね)の年でもあったことから、十二支めぐりがはじまりました。
温泉街のあちこちにある十二支を巡り歩く散歩のほかに、はがきに版画を刷りながら巡るということもできるようです。
二本松駅前から路線バスで25分
岳温泉の中心地までは、JR二本松駅前から出ている路線バスで25分程度。
1時間に1本程度で、運行しています。