福満虚空蔵尊圓蔵寺とは?
日本三大虚空藏菩薩のひとつで、空海が唐の高層より授かった霊木に掘った福満虚空藏菩薩像が祀られています。
丑年、寅年生れの守り本尊であり、会津の赤べこの由来になった赤牛伝説など不思議な話も残されています。
807年(大同2年)に、慧日寺で知られる徳一が、虚空藏堂を建立したのが始めとされています。
以来1200年、只見川沿いの絶壁に建つ円藏寺は、会津柳津虚空藏尊として親しまれています。
赤べこ伝説とは?
今から400年ほど前の1611年に、会津地方を襲った大地震が発生しました。
M6.9ともいわれ、円藏寺の舞台が只見川に崩れ落ちたほか、若松城の天守も大きく傾き、石垣も崩壊しました。
その後しばらくして、1617年に現在の崖上に再建されました。
本堂再建に使われた木材は、只見川を利用して運ばれましたが、川から崖上に運ぶのに困り果てていたところへ、どこからともなく赤毛の牛の群れが現れ、木材の運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、虚空藏堂を建てることができたといわれています。
赤毛の牛の群れは虚空藏堂の完成を待たずに、姿を消しましたが、このときの感謝の気持ちとねぎらいをこめて建立されたのが開運「撫牛」です。
また、赤毛の牛を「赤べこ」と呼び、多くの人々に親しまれるようになりました。
その後も赤べこは、会津地方で伝染病が流行した時、赤べこを持っていた人が、病気にかからなかったということで、災難をよけたり、願いを叶えたりと縁起物のお守りとして有名になりました。
徳一とは?
徳一は、興福寺または東大寺で法相宗(ほっそうしゅう)を学んだとされる人物。
法相宗とは、南都六宗の一つとして、7世紀中ごろから遣唐使として入唐した僧等によって伝わりました。
717年(養老元年)に入唐した義淵の弟子・玄昉は、興福寺において法相宗を興しました。
8世紀から9世紀にかけて、法相宗は隆盛を極め、多くの学僧が輩出しました。
そのなかのひとりが徳一です。
そして、徳一は天台宗の最澄との間で、三一権実諍論(さんいちごんじつのそうろん)で争います。
天台宗の根本経典である『法華経』では、どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られると説く一乗説に立っていましたが、徳一が著した『仏性抄』において一乗批判・法華経批判が行われました。
これに対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まりました。
法相宗は、早良親王の怨霊鎮めを行うなど、霊力をもって天皇家に仕えたといわれる宗派です。桓武天皇は、隆盛する法相宗を嫌って平安京に遷都したといわれています。
いっぽうの天台宗は、最澄が密教を取り入れることにより、怨霊鎮めの護摩焚などを行い、天皇家をはじめとする権力者と関係性を深めていく過程にありました。
仏教が最高の学問で科学であった時代、このような教義論争は宗派の存亡にも関わったことと推測できます。
慧日寺は、奈良・東大寺、法相宗の僧の徳一上人。
慧日寺が開山される前年には猪苗代湖が誕生しており、平将門が寄進した山門があるなど、平安から鎌倉時代の日本のもうひとつの歴史を感じられる場所です。
対岸のきよひめ公園・魚淵が撮影ポイント
福満虚空藏菩薩円藏寺の全体を撮影したい場合は、対岸にあるきよひめ公園がおすすめです。
2015年にオープンした新しい公園で、オープンカフェも併設されています。
また撮影は瑞光寺公園もおすすめ。
道路が狭いので、周辺の紅葉などと一緒に撮影するときは、反対側に行ってみましょう。
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