丹羽長重が400年前に築城した棚倉城
棚倉城は、元和元年(1622年)、常陸国古渡より棚倉に移封された丹羽長重が、幕府より築城の命を受け、当時は近津明神(都々古別神社=馬場都々古別神社)のあった地に、寛永2年に棚倉城の築城に着手し、寛永4年(1627年)に完成したものです。
都々古別神社は、古墳のある馬場の地に寛永元年(1624年)に遷宮しました。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争で落城するまでの240余年、8家16代の城主交代があり、お堀に住む大亀が水面に浮かぶと決まってお殿様が転封されたということから、別名「亀ケ城」ともいわれています。
土塁の上には南北朝時代の板碑や棚倉城規模碑、畑俊六(はたしゅんろく)元帥終焉の碑などがあります。また、西側外堀跡には約160mにわたり石垣が残っています。
棚倉城の規模は?
本丸の四方は多門(長屋のような囲い)で土塁の上を囲み、その長さは約640メートル、他kさは3.8メートルあります。
壁には416の狭間(矢や鉄砲を撃つ窓)がありました。
角櫓二階建てで4つ、追手門、追手二の門、北門、北二の門、南門がありました。
本丸内は東西60メートル、南北74メートルの広さで、土塁の高さ6.4メートル、内堀の幅36メートル、堀の深さは7.3メートル、水深3.8メートルと記録にあります。
二の丸四方の堀の長さ1005メートル、1.9メートルの高さの堀が2.25メートルの土手の上にありました。
堀の幅は14メートル、深さ6メートル、水深2メートルでした。
棚倉城の歴代城主は?
年 | 名 |
1622(元和8年) | 丹羽五郎座衛門長重 |
1627(寛永4年) | 内藤豊前守信照 |
1665(寛文5年) | 内藤豊前守信良 |
1674(延宝2年) | 内藤豊前守弌信 |
1705(宝永2年) | 太田備中守資晴 |
1728(享保13年) | 松平右近将監武元 |
1746(延享3年) | 小笠原佐渡守長恭 |
1776(安永4年) | 小笠原佐渡守長堯 |
1812(文化9年) | 小笠原主殿頭長昌 |
1817(文化14年) | 井上河内守正甫 |
1820(文政3年) | 井上河内守正春 |
1836(天保7年) | 松平周防守康爵 |
1854(嘉永7年) | 松平周防守康圭 |
1862(文久2年) | 松平周防守康泰 |
1864(元治元年) | 松平周防守泰英 |
1866(慶応2年) | 阿部美作守正静 |
武者行列に火縄銃演武「十万石棚倉城まつり」
4月中旬の土・日曜日、「十万石棚倉城まつり」が行われます。
桜の咲き誇る中、地元の農産物をはじめとして、地元産品を中心とした出店が並びます。
当日は、武者行列が町内を練り歩き、火縄銃の演武などが披露されます。
城下町を一望できる赤館(あかだて)
赤館は、棚倉北部標高345メートルの丘陵地にあり、近世棚倉城が築城されるまでは丘陵に館が築かれ、この地を治めてきました。
丘陵地から眺める風景は、城下町棚倉の町並みが一望できます。
また、公園の南側山麓には、「紫衣事件」で棚倉に配流された京都大徳寺の住職玉室和尚の草庵跡の碑があります。
中世の赤館に関する資料は極めて少なく、築城時期など判然としない点が多くありますが、建武年中(1334~1338年)に赤館伊賀次郎が赤館城主であった記録から、赤館はこの頃すでに築かれていたことがうかがえます。
公園散策路、野外ステージ、花壇などがあり、町並みが一望できます。
また、季節ごとに多種の花を楽しむこともできます。春には300本の桜が咲き、お花見を楽しめます。
バーベキューなどで火気を使用する場合は、町への申請が必要となります。(水道あり、調理施設なし)
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